なぜフェラーリに乗るのか? フェラーリでなきゃいけないのか?
早いものでF355を手放して2年半が経過しました。
フェラーリに対して今思うところを書いてみようかと思います。
まずはじめに、一昨年衝動買いしたフィアット500(チンクェチェント)は、今年5月に売却してしまいました。(新型フィアット500を予約したため)
なので現在は日産キュービックのみの1台体制になっています。
楽しくはありませんが、特別困ってもおりません。
室内は広いし、まあまあ燃費もいいし、毎日の通勤や週末の家庭サービスに大活躍してます。
クルマ1台になったのでチンクやF355がいなくなった屋根つき車庫に入れてますので、あまり汚れなくなったのも便利です。
こうなるとふと思ったりします、「これでいいんじゃないの?」と。
フェラーリ無くとも支障なし。
価格が高額。
スポーツカーなので保険料が高い。
大排気量なので税金が高い。
雨の日は乗れない、ホントは乗れるけどできるだけ乗りたくない。
壊れると高いのに壊れやすい。消耗パーツが多く維持していくだけでお金がかかる。
とても目立つのでイタズラにあいやすい。
駐車する場所に気を使う。
あまり荷物が載らない。
取り回しも悪い。
性能がよくスピード出るが出すと捕まる。
その性能もだいぶ国産車と拮抗してきた。
実用面はほとんどゼロ。
フェラーリでなくても支障なし。
一度でもフェラーリオーナーになると気づきます、「走る」ことが目的であるフェラーリの用途はあまりにも少ないのです。
「走る」ために走り、維持して諸経費を支払う。
「走る」のをやめたら単にお金のかかるガレージのオブジェ、その存在理由がほとんど無くなってしまいます。
よっぽどのお金持ちでないかぎり、そんなクルマをガレージで飼い殺しにしておく余裕なんて無いことでしょう。
頑張って頑張って維持しててもいつか気持ちが萎えてしまう、萎えた気持ちはもう燃えない。
筆者が通ったフェラーリショップのの主治医は、「一度フェラーリから降りると戻ってこない人が多い、どんなお金持ちでももう買わない人が多い。」と言ってました。
よくわかります。
フェラーリが無くても特に困らないのですから。
フェラーリ無くとも支障なし。
よくフェラーリにはステイタスがある、なんて言うけれどこのステイタスが案外厄介になります。
そりゃあ確かにステイタスはあります、超一流のステイタスが。
しかしこのステイタスが役立つ場面なんて極めて少ない、むしろ嫌な思いをする場面の方が多い。
フェラーリのステイタス性を誇示しようなんてさらさら思っていなくても、勝手に周囲が扱いを変えてしまう。
精神面が強靭でないとフェラーリなんて乗っていられないのかも。
でもね。
それでもまたフェラーリに乗りたいと思う。
購入する財力も維持する財力も性能を引き出す技量も充分に無いけれど、やっぱりもう一度フェラーリを所有してみたい。
理由なんてうまく表せません、もはや感情に近い。(笑)
理屈で好き嫌いなんて決まらないと思うし。
魅力があると感じた女性を好きになり、旨いと感じたから好物になる、それと同じ。
この気持ちが続く限り、いつかまた買おうと思ってます。
フェラーリ無いと支障あり。
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